>  投稿者:ACE阻害  2000/10/15 (日) 03:46:11      [mirai]
> > 知らないが。
> 主体間での論議が徐々に弁証法的に高められ、そのうち相互承認された合理性の真実へと
> 到達できるというのがハーバーマス君の言い分だが、それは状況内存在としての我々の
> 暴力性の根拠であるパスカル的自我の問題を見落としています。パスカルの言う自我の問題とは
> 自我は全ての中心になろうとするそれ自体において不正であり、且つ自我は自分への従属を
> 要求するが故に他の全ての自我にとって不都合であるということ。これは正義論的-倫理学的な
> 不可能性という現代的問題にも繋がります。
> 分かりますか?
> そもそも「知」とは主体の関心や意欲によって限定された鏡像的-自己愛的な空間の産物であり、
> そのような知に司られる我々に知の外部、つまり構造の外部を把握することは出来ません。
> この外部とは存在論哲学が経験的な現実世界を支える「存在」と言い、分析哲学が「論理形式」と
> 言い、キリスト教的世界観が「神」とするモノに等しいです。この三派は「構造の外部」である
> 論理的に把握できない非世界的な不可能性が現実世界の可能性を支えていると言いました。終わり。

一生懸命読んだけど理解できなかったよ
専門用語に丁寧な説明を付けながらもう少しわかりやすく書き直してよ

参考:2000/10/15(日)03時40分41秒