> > 自我の不正をなくすこと。 > > それは自我そのものを取り除くこと。 > > 自我は主体の統一性を保証し、そこで初めて主体はモノを考えることが出来る。 > > さて、自我を取り除いた後、人がモノを考えることは可能ですか? > そもそも、私を私たるものにしている自我なんてあるのですかね? > 自我、主体という観念的なものを中心にする発想はどうも前近代的かと思われますがどうでしょうか? 純粋な創造は可能か云々を語り合ってた少し前にも同じコト書いたが、 主体の万能性の虚妄は既に構造主義に批判されてるわけで、他者性に貫かれ、 主体の自己充足的な独自性を保つことなど出来ないと言うのはデリダやクリステヴァに よって既に主張されていることは哲学史的には常識ですよ。 参考:2000/10/15(日)04時43分30秒