> 投稿者: 2000/10/19 (木) 04:03:08 ▼ ◇ [mirai]> ω・)<いま うたいたくてしょうがない しょうがない
「いま うたいたくてしょうがない しょうがない」、、、この上ない明確無比さで人間実存の
根源的性向を鋭敏透徹に描き出したこの書き込みに我々はただ戦慄の驚嘆を禁じ得ないだろう。
まず「いま うたいたくてしょうがない」という部分に着目して欲しい。
この「うたう」という行為は、多声的空間として音楽化されたパラグラム的状態という、
他者性に貫かれた重層的な厚みの裡に揺曳しながらも、日常的意識のためにそれを
一義性の暴力の裡に平面化する定立相としての人間実存が根源的に破断させられた
トコロであるが故にその一挙手一投足に至るまでに根源的に希求するモノとしての
「一者性」というアダムとイブが追放された「楽園」を、人間を汎自然的コスモスの裡に
その連続親縁として取り込むピュシスを、以前は空無のナルシス的主体としての我々が
それとの密着融合状態にあった前-対象である「母の身体」を、原抑圧により失われた
ラカン的「享楽」を、又は母と子を以前は往昔には結びつけていた有声化された息を取り戻そんとする
快楽の散種行為としてのクリステヴァ言うところの「アブジェクション」、つまり、吐き出し=
発声行為への強烈深甚な渇望を指しているのである。そしてそれは生の不可能性=有限性を
可能性=無限性へと反転させるという、超越論的他者=存在=神への不可能なる反逆行為への
企図として解されよう。
このように生の不可能性を超克せんとする意志に貫かれた人間的生の不毛なる
本来的実相を暴露するこの書き込みに我々はベケットの短編「私じゃない」にも
通じる現代的命題を読みとらずにはいられないだろうとかなんとか!!!!!1
参考:2000/10/19(木)03時46分33秒